精神的自立をするためにやるべきことと、やってはいけないこと

橋本 明子@自立18公式ライターです。
 


 

そもそも精神的自立とはどのようなことなのでしょう。

自立の反対語は依存。

精神的に自立したい女性は、当然のことながら依存を嫌います。

どうしても「自立」というと、男性に依存しない生き方=自立した生き方、という枠にはめ込もうとしますが、人に頼らないと強く思うあまりに、自立を形骸的に考えすぎているのではないかと思うのです。

精神的に自立することは、誰かに依存することの反意語ではありません。

人は誰しもがどこかで何かに依存しているものです。

地球の中の日本という国に生まれた以上、生まれながらにして日本人という枠にはめられていることになります。

しかも、依存にネガティブなイメージを植え付けているあまりに、誰にも迷惑を掛けないことが当たり前になりすぎて、現在の日本はいつも周りの顔色を伺うような空気感に依存する人々が多くなってきているような気がしてなりません。

本来、自立することは、何者からも自由になり、人とのつながりをきちんと保つことができる姿勢ではないでしょうか。

ここでは精神的に自立した女性がやってはいけないことについて解説していきます。
 

孤独は寂しいことではない


 

お一人様という言葉がメディアなどでは普通に使われるようになり、女性が一人で外食したり、旅行したりすることが当たり前の時代になっています。

以前では、一人で外食する=寂しい女、という図式が当たり前のようにありました。

友達の多さが人としての評価のような、自慢できる要素として長年君臨してきたように思います。

最近でもSNSなどで友達のいいね! の数やフォロワー数を競い合ったり、自身の日常生活のリア充ぶりを、これ見よがしに自慢したり…

現代はネットを通じて発信したいことは、他人の眼に晒すことができる状態を逆手にとり、自身に優越感を持たせることができる時代。

SNS上では常に幸せな自分を演じていても、実際に本人が幸せを感じているかは不明です。

一方で、親しい友達が周りにいない状況でも、ネットでつぶやいたことで、身も知らない人からの温かい反応があることもしかり。

名もなきネット上の誰かに、救われることも少なくないと思います。

そのため、個々の孤独を紛らわし、癒す方法もメディアを通じて様々な方法があることは、とても良いことかもしれません。
 

人とのつながりが孤独を生み、依存を生む

筆者が若いときは、まだインターネットが現在のようになかった時代で、遊ぶとなると、友達とどこかへ旅行に行ったり、食事に行ったりすることで、交遊関係を育んできました。

しかし周りに友達がたくさん居ても、本当に友達かどうかの線引きは、若ければ若いほど、意外とシビアだったことを思い出します。

実際に遊びに行ったり、飲んだりしても、その場限りだったり、付き合いで嫌々参加していたことも。

仕事の同僚だからとか、いつも世話になっている、などで出来たコミュニティーが多く、純粋に気が合ってお付き合いする友人関係というのは、社会人になってからは少なくなっていたかもしれません。

一人では寂しいから、寂しい人と思われたくないからという理由で、筆者などの40代後半の女性達は身の回りの人間関係に無理に居場所を見つけることから、活路を見いだそうとしていたのかもしれません。
 

仏教においての孤独とは


 

しかし孤独というものは、仏教においては常に隣にある普遍なこと。

そもそも、人間は孤独なもの。

一人で生まれて一人で死んで行きます。

孤独を解消するために、誰かと親密な人間関係を築き、人と親しくなったところで解消することは決してできません。

確かに人とコミュニケーションをとっていくことで、人間関係が広がり、気が合う友人や恋人、伴侶などが見つかることもあるでしょう。

しかし、親しい人が周りに増えたところで、喜ばしいことや信頼関係も発生しますが、同時に相手に執着し、依存してしまうのが人間の性。

自分のことを分かってくれるという期待感が大きくなっていきます。

しかしどんなに親しくなったとしても所詮、他人です。

全て理解することは不可能です。

期待が大きければ、それを裏切られた代償として寂しさが募り、自分は一人だという孤独感に苛まれる。

孤独感を解消するために、人とつながるというしくみが、そもそも依存に発展していくメカニズムなのではないでしょうか。

前述したとおり、仏教においては、人は一人で生き一人で死んで行きます。

その人生の中で孤独なのは当たり前であるが故に、人とのつながりを求めてしまう。
 

孤独を解消するためにやるべきことは?


 

では一人でも幸せである生き方とはどういうものでしょうか。

自分に適した居場所があれば孤独感は解消するものでしょうか。

例えば、筆者は結婚し、子供がいるので、一般的には家族が筆者の居場所なのかもしれません。

誰しもが、家族が一番信頼できる居場所ではあるかもしれませんが、家族であっても常に分かり合えるものではありません。

家族の成長の度合いが一緒であることもありませんし、子供が成長していくに従い、家族の役割や目的は変動していきます。

どちらにせよ、周りの誰かに生きる意味や目的を託すのは一種の依存と言わざるを得ません。

一人でも幸せに生きるためには何が必要かということは大変難しい問題です。

仏教においても、生きる意味ということはそもそも人間に生まれたことだということです。

仏教においては人間に生まれ変わることはまれで、人間に生まれて初めて仏陀の教えを得ることができるということ。

そもそも、仏教において現世だけが存在することはなく、前世から輪廻転生を繰り返し、現世で人間として生まれてきたこと自体が生きる意味だという解釈のようです。

生きる意味を明確に論理的に説明はできないが、人間として生まれ生きることこそが、目的だとすれば、個々の魂が孤独であるべきかもしれません。

現世までの途方もない旅を繰り返してきた魂が人間に生まれた時点で目的を果たしていると解釈すれば、人とのつながりを紡ぐ時点で孤独を理解する必要があるのです。

孤独は依存の反意語ではありません。

コミュニティーとしての居場所ではなく、人間としての心のよりどころを持つ必要があるのかもしれません。

仏教であれ、キリスト教であれ、信じるべき宗教がある人は、ある意味簡単なのかもしれません。
無宗教である日本人が心のよりどころを、どこに求めるのか。

自立したい女性は、一人ボッチという意味での孤独を生きるのではなく、人とのつながりや依存や助け合いも経験しながら、一人でも変わらず幸せを感じていける心の平安を得られる思考力が必要なのではないでしょうか。
 

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橋本 明子

橋本 明子

外資系企業から会計事務所を経て、現在、子育てをしながら、フリーで女性の自立を支援。フリーライターとしても活動中。